東京高等裁判所 昭和39年(行コ)34号 判決 1966年3月15日
控訴人(被告) 東京国税局長
被控訴人(原告) 岡田陽三
訴訟代理人 山田二郎 外三名
主文
本件控訴を棄却する。
控訴費用は控訴人の負担とする。
事実
控訴代理人は、「原判決を取り消す、被控訴人の請求を棄却する、訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は、控訴棄却の判決を求めた。
当事者双方の事実上の主張、証拠の提出、認否、援用は、控訴代理人において、別紙(甲)のとおり、被控訴代理人において、別紙(乙)のとおり陳述したほかは、原判決が「事実」の欄に摘示するところと同一であるから、これを引用する(ただし書省略)。
理由
一、当裁判所は、原審の判示するところを、概ね正当とするものであつて、以下に判示するところと牲触する部分を除き、原判決の「理由」をすべて引用する(ただし書省略)。
二、巷間において、権利金といわれて不動産賃貸借の当事者間で授受される金銭には、およそ三種の類型が考えられる。その一は、営業権譲渡の対価又はのれん代に当るものであつて、これは地代家賃統制令一二条の二の創設により権利金の授受が禁止された当初から統制の対象とされなかつたものであり(昭和二三年一二月二四日物価庁物五第七四三号通牒参照)、本件の権利金がこれに該当しないことは明らかである。その二は、地代、家賃の一部前払に当るものであつて、家屋の所有者が家屋新築のために投下した資本の回収の役割を果しているものが多い。家屋の賃貸借にあたり、権利金の額と賃料の額とが相対的に、すなわち権利金の額が多ければ、賃料の額が少なくなるというように定められる場合のごときは、まさに、この種の権利金が賃料の前払的性質を有することを示している。その三は、賃借権そのものの対価として支払われるものである。すなわち、借地権の設定によつて借地人は長期にわたり、その土地を使用する権利を取得する反面、土地所有者は土地の用益権的側面を長期間奪われ、その間土地所有権はあたかも地代収取権に転落し、譲渡その他の処分権は、なお土地所有者にあるといつても、当該土地の交換価値は、通常甚だしく低下してしまうのである。そのために、借地権の価格に相当するものが、借地権の設定にあたり権利金として授受されることになつたのであつて、この慣行は、東京近辺の都市において、特に多く見られ、その額も、土地所有権の価格の半額を上廻る場合が少なくないことは、当裁判所に顕著なところである。かかる場合の権利金の多くは地代収取権としての底地所有権を土地所有者に留保し、上土権的部分すなわち土地の用益権的側面を借地人に譲渡した対価とみられるものである(原審証人植松守雄の証言―記録七八丁以下―参照)。原審が戦後における権利金授受の慣行として説示しているところは、専らこの場合を指称しているものと解される。さらに、原審証人植松守雄の証言によれば、借地契約の設定にあたり、権利金を授受する代りに、巨額の金員を賃貸人に無利子あるいはきわめて低利で貸し付けるという例が存したということであつて、かかる場合には、右貸し付けられた金員をもつて、地代の前払とみることは到底不可能であるといわなければならないであろう。
以上において判示したところは、権利金の定型ともいうべきものについてであつて、現実に授受される権利金なるものには、前示各種の類型の混合したものもあれば、第二種のものか第三種のものか、にわかに判別し難いものもあり、要するに、権利金といつても、一概にそれが地代ないし賃料の前払であるとか、賃借権そのものの対価であるとか割り切つて考えることはできないといわなければならない。
三、本件についてこれを見るに、被控訴人は、昭和三三年三月訴外サンヨウメリヤス株式会社に対し、被控訴人所有の東京都墨田区寺島町一丁目一八九番地宅地一一〇坪のうち五〇坪を、普通建物所有の目的で、期間二〇年、賃料一坪当り一ケ月金二〇円と定めて賃貸し、同社から権利金として、一坪につき更地価格金三万円の三万の二にあたる金二万円の割合で金一〇〇万円を受領したというのであつて、この事実は当事者間に争いのないところである。控訴人は、賃右貸借における賃料が極めて低廉であるところから、右権利金は賃料の前払であるかのごとく主張するが、当事者間に争いのない被控訴人が右会社の代表取締役である事実および被控訴人が自己の経営する会社の工場敷地として右土地を賃貸したものである事実を考えると、右主張をそのまま肯定することはできない。他に右賃貸借成立の事情について、なんらの主張立証のない本件においては、右権利金の性質がいかなるものかについては、原判示のごとく第三の類型に属するものとの可能性が強いとは云え、当裁判所は、なお、これを断定することはできないというほかはない。
四、問題を税法の観点から考察すると、昭和三四年法律第七九号による所得税法の改正および同年政令第八五号による所得税法施行規則の改正により、借地権設定に際し授受される権利金のうち「設定された借地権の存続期間が二〇年以上であり、かつその設定の対価として支払をうける権利金の額がその土地の価格の十分の五を超える場合」という要件に当てはまるものをもつて、超過累進税率の効果を緩和し、譲渡所得として課税することになつたのは、前述のごとく、等しく権利金と云つても、その性質を一概に決定することはできないけれども、右の要件を充足するものは、賃借権そのものの対価的であるものが多いところから、すべてこれを第三の類型に属するものと擬制し、譲渡所得として取り扱うことになつたものと考えられる。
五、しからば、次に、右所得税法及び附属政令の改正前に授受されたいわゆる権利金をどう取り扱うべきであつたかが考察されなければならないのであり、この点が恰も本件の問題に該当するわけである。
すでにしばしば説示したごとく、権利金の性質を一概に決定することはできないのであり、本件の権利金もその例に洩れないとすれば、このような性質の明らかでない権利金は、これを所得税法九条一項三号の不動産の貸付による所得すなわち不動産所得とみるべきか、同条一項八号の資産の譲渡による所得すなわち譲渡所得とみるべきかということに帰する。そもそも、所得税は、法律の定めるところによるとは云え、国家が国民に対し、国民の意思にかかわりなく賦課徴収するものであり、法律の解釈上疑わしい場合には、国民の利益に解するのが当然であるというべきであり、不動産所得とみるよりは、譲渡所得とみる方が納税者のために利益であるとするならば、性質のあいまいな、しかもその後の法律の改正により譲渡所得と擬制されることになつた要件を充たすような権利金については、法の改正前においても――本件権利金は改正直前の課税年度に授受されていることを想起すべきである――同様に譲渡所得と類推解釈するのが相当であるといわなければならない。このような解釈態度をとるときは、徴税技術殊に取得価格の算定の上において困難を伴うことを否定できないが、そのために、課税行政の具体的な運用が担当係官の恣意に委ねられる結果になることを避けられないとは、当裁判所は考えないのである。
控訴人は、譲渡所得は資産の移転を原因として発生した所得と解すべきであり、資産の移転に当らない原因によつて取得したものは譲渡所得に包含される余地がないものと主張し、土地に利用権が設定されたとしても、土地所有権は賃料収取権に変形して所有権者に留保され資産の移転と見るべきものは存しないという。しかし、第三の類型に属する権利金は、資産としての用益権の譲渡の対価に当るものと見るを妨げないこと、上述のところから明らかであろう。現に、成立に争いのない乙第一号証と前示証人植松守雄の証言によれば、相続税を賦課する場合に、借地権の設定されている土地については、借地権の割合だけ減額して土地の価格を評価するというのであるから、この場合は、資産としての用益権の譲渡により、所有権の価値が減少していることを徴税の実際において容認しているものということができるであろう。したがつて、借地権の設定に際し、授受された権利金を、常に不動産の貸付による所得―それは通常反覆的継続的に流出する所得である―とみることは、却つて、第三の類型に属する権利金の実態を看過しているものといわなければならない。
六、以上のとおりであるから、原判決は結局正当であり、本件控訴はその理由がない。よつて、民訴法三八四条、九五条、八九条を適用し、主文のとおり判決する。
(裁判官 三渕乾太郎 伊藤顕信 土井俊文)
(別紙)
(甲) 控訴人の主張
第一いわゆる権利金の法律的性質について
一 本件課税の前提となつている事実関係は、当事者間に争いのないとおり、被控訴人がその所有にかかる宅地を工場敷地として訴外会社に賃貸するに当り、訴外会社からいわゆる権利金として一〇〇万円を受領したことである。
それで、まず、いわゆる権利金、すなわち通常の性質の権利金(特別の性質の権利金でないことは、原判決で「いわゆる」権利金と認定されていることから明らかであるといえよう)の法律的性質をどのように理解すべきかについて、検討を進めてみることにしよう。
従来、いわゆる権利金には、大別して二種類のもの、すなわち、(イ)店舗および営業用の建物について、そこで営まれる営業そのもの、ないしは、その建物の有する営業上の利益(造作やその場所に伴う顧客などを含めて)の対価の性質をもつもの、(ロ)右以外の通常のもの、就中、借地に当つて授受されるものには、賃料の一部の一括前払の性質をもつもの、以上のものがあると解しているのが支配的である。
本件では、右権利金のうち、土地の賃貸借に当つて授受された権利金の法律的性質が問題となつているのであるが、右権利金について従来賃料の一部の一括前払であると解されてきていることの正当さは、その発生過程や実態面から考察してみて、いわゆる権利金は地代家賃統制下において土地建物の賃貸主側の受け取る対価が過少に押えられたのでその対価の跛行性を補足するために考案されたものであることからいつて、十分に首肯しうることである。それで、土地の賃貸借に当つて授受されるいわゆる権利金は通常賃料の一括前払の性質をもつものであり、また、その権利金の金額は賃料額と相対的な関連性を持ち、賃料額の不足分を補足しているものであり、そして、この権利金授受の慣行は統制外の土地の賃貸借についてもいわば一種の惰力として同様に行なわれているものであつて、当該賃貸土地が統制の範囲内のものか範囲外のものかによつてその権利金の法律的性質には変異の生じていないものである。従つて、いわゆる権利金は不動産の貸付に対する対価たる性質をもつものであり、いわゆる権利金は不動産の貸付により取得したものというべきである。
二 本件の場合、その権利金は前述のとおり土地の賃貸借に当つて使用権設定の対価(賃料の一部の一括前払)として受取つたものであり、また、取決められている賃料額との相対的な関連から考えてみても、その権利金は全く賃料の一部の一括前払にほかならないものであるから(本件地代は一坪当り一ケ月金二〇円で年額一二、〇〇〇円であるが、通常の場合その適正地代は低くとも更地価額に対する年八分の市場金利の割合の年額一二〇、〇〇〇円位であるから、本件権利金が不足地代の一括前払であることを十分に窺知することができる)、右権利金は不動産の貸付により取得したものというべきである。
第二いわゆる権利金が所得税法九条一項三号の不動産所得に当ることについて
一 いわゆる権利金が所得税法九条一項八号の譲渡所得に当らないことについて(原判決の失当なことについて)
(一) 所得税法九条一項八号は「資産の譲渡に因る所得」を譲渡所得と規定している。この「資産の譲渡に因る所得」という意義は、法律の解釈として同一の法律用語は格別の理由がないかぎり同一の意味に解すべきことからいつて(最高裁昭和三五年一〇月七日民集一四巻一二号二四二〇頁参照)資産の移転(既に設定存在している資産の同一性を失なわしめないで資産の所有権等を他人に移転すること、民法一七八条四六六条六一二条参照)を原因として発生した所得と理解すべきである。
資産には、土地、建物、借地権等いろいろのものがあるが、資産の移転に当らない原因によつて取得したものは譲渡所得に包含される余地のないものである。
それで、仮に或る土地について永続的利用権の設定があり(もつとも本件の場合は、前述のとおり永続的利用権の設定ではなく、期限付きの賃借権の設定である)そして、設定の対価が授受されているとしても、これをもつて所有権の一部や土地利用権の譲渡(移転)があつたとは到底解することができない。土地の利用権の設定があつたとしても、土地の所有権の一部や土地利用権の譲渡があつたのではなく、土地利用権が賃料収受権(賃料債権)に同一性を保ちつつ変形したにすぎず、土地の所有者は相変らず土地の使用収益権能を保留しているのであるから、実定法の解釈として、土地の貸付(土地の使用収益権能を留保しながら他人に利用権を設定すること)と土地の所有権ないし土地利用権の他人への譲渡を法律上同一視し、単なる土地の貸付に因る所得と所有権ないし借地権の譲渡に因る所得とを同一に法的評価することは到底許されないというべきであろう。
(二) 原判決は、いわゆる権利金を所有権の権能の一部である利用権の譲渡代金と解して、譲渡所得に当ると判断しているのであるが、前述のとおり、いわゆる権利金の法律的性質は土地利用権の譲渡代金ではなく、また、土地利用権は他人に譲渡されておらず賃料収受権に変形して所有権者に留保されており、いわゆる権利金は譲渡を原因として発生した所得ではないから、譲渡所得に当る余地のないものである。
二、いわゆる権利金が所得税法九条一項三号の不動産所得に当ることについて
(一) 所得税法九条一項三号は、「不動産の貸付に因る所得」を不動産所得と規定している。この「不動産の貸付に因る所得」とは、不動産の貸付(賃貸借、地上権の設定等)に基因し不動産の使用権の設定の対価として貸主に発生する所得のすべてを包摂して規定しているものである。従つて、設定される使用権が債権であると物権であるとを問わず、使用権の設定の対価が地代家賃名義で授受されているものであるといわゆる権利金名義で授受されているものであることを問わず、また、その多寡を問わないものであり、更に、その対価の支払方法が継続的に支払われる場合であるとその全部又は一部を一括して前払される場合であるとを問わないものである。
それを、土地の貸付に基因してその貸主である被控訴人が取得した本件権利金は、右不動産所得にほかならないものである。
(二) 原判決は、いわゆる権利金名義で授受される金員はそれが比較的少額で地代家賃の前払と見られる場合のみ不動産所得に入るとしているのであるが、かように権利金をその多寡によつて莫然と区別しようという法律解釈は、実定法の規定を無視否定するものでありしかもその判断基準が曖昧であつて失当なものというべきである。
なお、原判決は、所得税法が所得類型として不動産所得の対象として予想しているものは地代家賃等のような不動産賃貸の対価として授受される継続的営利的性質の所得であるから、権利金を文理解釈を唯一の手掛りとして解釈を下すべきでないとしているのであるが、法律規定の対象であるかどうかは、立法当時に主観的に予想されていた(立法者が認識していた)ものかどうかによつて決定すべきことではなく、飽くまでその対象が客観的に制定法(実定法)の規定している範囲内のものであるか範囲外のものであるかによつて決定すべきことである。税法と同じく厳格な法律解釈が要求されている刑法において、かつて電気窃盗の犯罪の成否に関し、立法後に創出された電気が財物(旧刑法二六六条)に当ると解釈されたことを想記しただけでも(大判明治三六年五月二一日刑録九輯八七四頁参照)、原判決の論旨の失当なことは明らかであるといえよう。
(三) 本件権利金の法律的性質は、前述したとおり、不動産の貸付に対する対価たる性質のものであるから、本件権利金は不動産の貸付に因る所得であり不動産所得そのものに当り、譲渡所得に当る余地の全くないものである。
ましてや、既述のとおり、権利金が経済的に土地所有権の譲渡所得に近い金額の場合があるとしても、法律的には不動産の貸付(利用権の設定)と不動産ないしその利用権の譲渡とは全く違つたものであり判然と区別されているものであるから、法律の解釈適用上において権利金は譲渡所得の法律要件には該当せず、また、その法律要件に近い法律的性質をもつものでもないということができる。
それに、所得税法は所得の種類の所属決定について、不動産所得、護渡所得等のそれ自体に該当しない所得は雑所得(同法九条一項一〇号)とするという構成をとつているから、原判決のように譲渡所得そのものには当らないがそれに近い性質のものであるということでもつて譲渡所得の規定を類推解釈しているのは、右所得税法の解釈において誤りを侵しているものと思考される。
(四) いわゆる権利金について、譲渡所得と同一方式の課税を行なう方が妥当な場合のあることは、従来立法論として議論を呼んでいたことであり、その立法論が昭和三四年にいわゆる権利金について法律の改正を促し、いわゆる権利金の課税について立法的解釈をみたのである(昭和三四年法律第七九号。この立法の経過については、特に控訴人の昭和三六年三月二四日付準備書面および証人植松守雄の証言参照)。
いわゆる権利金について、譲渡所得と同一方式の課税の恩恵に浴させるのが具体的に妥当であるからといつて、譲渡所得でなく不動産所得に当ると実定法上において規定されているものについて、その実定法の適用を拒否することは法律解釈上において許されえないことである。
(五) なお、昭和三四年法律第七九号による所得税法の改正および昭和三四年政令第八五号による所得税法施行規則の改正により、借地権の設定の対価として支払を受ける権利金のうち、一定の要件(設定された借地権の存続期間が二〇年以上であり、かつ、その設定の対価として支払を受ける権利金の額がその土地の価額の十分の五を超える場合)に該当するものについては譲渡所得として課税すると規定されることになつたが、改正後においても、右の一定の要件に該当しない権利金(例えば、支払を受ける権利金の額が、その土地の価額の十分の五以下の場合)については、所得の分類としては不動産所得として取り扱われることになつているので、このことから見ても、右改正前においては権利金が不動産所得にほかならないことは明らかなところである。
それに、昭和三四年の所得税法の改正以前においては、右の原判決の所論のように更地価格の大きな割合に当る権利金が譲渡所得に当るものと解釈しても、右の権利金についての譲渡所得金額は、算出のやりようがなかつたのである。
すなわち、譲渡所得は、その年中の総収入金額から当該資産の取得価額、設備費、改良費及び譲渡に関する経費を控除して算出される建前となつているのであるが(昭和三四年改正前所得税法第九条第一項第八号)、昭和三四年の所得税法の改正以前においては、借地権の設定の対価として支払を受ける権利金を譲渡所得として計算する場合には、その収入金額から控除する当該借地権に係る取得価額をいくらに計算するかについて法令に規定がなく、従つて、右の権利金についての譲渡所得金額の算出は不可能であつたのである。
昭和三四年の所得税法の改正により、借地権の設定の対価として支払を受ける権利金のうち、一定の要件に該当するものについては、譲渡所得として課税することに改めたのであるが、右の所得税法の改正に伴つて所得税法施行規則第一二条の二が新たに追加され、権利金を譲渡所得として計算する場合に、その収入金額から控除する借地権に係る取得価額は、借地権の設定があつた土地の取得価額に、権利金の額とその土地の底地としての価額(その価額が明らかでないときは、地代年額の二〇倍相当額として計算する)との合計額のうちに権利金の額が占める割合を乗じて計算した金額とすることが明文化されたのである。
したがつて、借地権に係る取得価額をいくらに算定するかについての明文のなかつた昭和三四年改正以前には、権利金を譲渡所得と解釈することが許されていなかつたことを、法文上から十分に読み取ることができるといえよう。
以上
(乙) 被控訴人の主張
一、第一の一について
通常の性質を有する権利金(本件の如く東京都内所在宅地の建物所有を目的とする賃貸借に当り時価相場により受授される権利金)の性質は、賃借権が期間満了により地主から一方的に消滅せしめられることは殆どないという実状と、地代とは別個に権利金そのものの取引相場があり所謂略一定の市場価格というべきものが存在するという社会的事実とに即して判断されなければならぬ。一度賃借権の設定された宅地は、期間満了の際に更新料の受授される例はあるが、更新料は権利として法の明文上認められてはいないし、更新料の支払いを命じた判決の出たことも私は知らない。更新料の受授されない例も少くはないし、借地期間が事実上不明の儘になつている借地関係も少くない。ともかく一度成立した借地権が、地主の一方的な意思によつて消滅せしめられることは殆どないことが実情である。したがつて権利金は実質的に土地の永久使用権の対価である。土地の永久使用の対価は名称の如何に拘らず実質上それは使用料(地代)ではない。地代は別に支払われるのである。権利金が使用料か権利譲渡の代償かを論ずることは理論の遊戯に過ぎない。権利金には略々一定の相場があり、地代には地代の相場がある。社会観念上地代と権利金とは全く別個の独立した性質のものと考えられている。
権利金が地代の一括前払いだというためには地代の如く一定の期間に比例するか、少くとも期間に対応する実態を具備していなければならないと思われるが、実際に権利金は期間に対応するものではない。それは期間更新の場合を考えれば明白である。現在の社会観念上権利金が、土地の使用料的性質を持つものとは考えられない。
権利金が地代の前払いであるという説は、その発生的、沿革的説明としてはとも角、現在の不動産取引の実情(不動産取引は主として事実上土地利用権の売買設定であつてその実質は借地権の売買である底地所有権は附随的のものとしか見られていないし、借地権は期間満了による消滅を予想していない)と、借地権には独自の相場がある(地代と必ずしも関連していない)こととを故ら無視して、賃貸借は債権契約なりという民法上の原則論を公式的にあてはめようとする空論に過ぎない。権利金の受授は賃貸借契約の要素とされる地代の契約とは別個になされる契約関係と見ることが、何故許されないのかその根拠は全く説明されていない。
控訴代理人の準備書面四頁表に、引用された我妻先生の説(ロ)賃借権の譲渡性を承認しそれに交換価値を与える対価として支払われるもの(が権利金の一種類とされる)に対して、(ロ)は賃借権自体が物権化しているので権利金の受授の有無と関係づけるのは相当でないと控訴代理人は云つているがここに物権化しているというのは賃借権が譲渡性を有しているという意味になるからその意味では本来の性質上譲渡性を有する物権化した賃借権が、権利金を代償として設定されるのだと云うべきではないか。譲渡性を有するところの賃借権設定はあくまで無償でなければならないということが、むしろ不合理である。事実をありのまゝに見れば権利金は正に譲渡性ある賃借権設定の代価として受授されるものである。
二、第一の二について
権利金の法律上の性質ということは、この場合所得税法上の性質ということでなければならない。権利金という用語は民法にも所得税法にもないから文理解釈の問題ではない。
借地権設定の場合に、受授される権利金は所得税法上、どの所得分類にはいるかということが、問題の焦点であつて、権利金の民法又は借地法における性質を学理的に研究することが目的なのではない。
所得税法には税法としての性質と目的とがあり、所得税には所得税固有の原理原則がある。所得税の解釈はその性質に即してなさるべく必ずしも他の法律解釈に拘束さるべきものではない。民法その他の法規に権利金の性質を定める明文の規定があるというならば格別そのような根拠はないのに権利金の性質を抽象的に決定してからそれに所得税法をあてはめようとする方法は正当ではない。むしろ所得税の性質、目的から権利金の所得税法上の性質を判定すべきものであつて所得税法を離れた抽象的な権利金の性質論はあまり重要ではない。
三、第二の一の(一)について
建物所有を目的とする土地の賃貸借により新に借地権を設定することは、たとい一応期間の定めがあるとしても、それは事実上土地の永久的使用権を設定することであつて、期間満了により借地権が消滅することは殆ど全く予想されないのが実情である。
地主が他人のため更地に借地権を設定すれば、地主はその所有権を自ら使用する権利を完全に、しかも殆ど永久に失うのである。控訴代理人はそれでも地主は相変らず土地の使用収益権能が保留しているのだというが、地代を受取るに過ぎない地主が土地の使用権を持つというのは文字の遊戯に過ぎない。
(イ) 既存の借地権を他人に譲渡する場合と
(ロ) 更地を他人に賃貸し権利金を受取る場合とは
民法上別異の性質を持つ契約なのかどうか、民法上は議論があるかも知れない。しかし取引の実際においては社会観念上両者は同じく所謂権利(土地使用権)の売買と観念され、同様の地位条件の土地においては同様の相場で取引され、経済的にはなんらの差異もない。
所得税法においては権利金が
(イ) 資産の譲渡に因る所得(法第九条第三号)
(ロ) 不動産の貸付に因る所得(法第九条第八号)
のいづれに該当するかということが問題なのであるから新規の借地権設定の代償たる権利金が所得税法の解釈上資産の譲渡代金であるか、地代の一括前払であるかということが焦点である。換言すれば新規の借地権を設定する場合経済的には土地使用権が他人に移転するが、それを法律上(所得税法上)は資産の譲渡と解釈することがあくまで許されないという合理的根拠があるかどうかというのが本訴の争点である。
四、第二の一の(二)について
控訴代理人は更地に借地権を設定しても土地の利用権は賃料収受権に変形して所有者に留保されているから土地利用権は他人に譲渡されていないというが、現実の土地使用権と、地代収受権には本質的相異がある地代収受権が、土地使用権を抽出し去つた残滓にすぎないことは多言を要しない、又土地を賃借した人が借地権を資産として取得することも確実である。このような経済上の取引現象を社会観念上借地権の売買と称している。
この場合、民法上においても地代を受授する賃貸借と、借地権を設定し譲渡する契約とが混合併存するものと考えることは不可能であろうか、それも可能ではないかと思うが、その点は、しばらく措き、所得税法の解釈としてはこの場合資産の譲渡契約と認めることが絶対に許されないという格別の理由あるものとは考えられない。
五、第二の二の(一)について
所得税法に定める「不動産貸付に因る所得」とは「地代と家賃」とを指しているものなることは議論の余地がない、換言すれば土地家屋の使用料を云うのである。控訴人は「権利金か不動産使用権設定の対価である」とし使用権設定の対価たる権利金は不動産貸付に因る所得だといつているが、本訴の争点は権利金が、不動産使用権設定の対価であるかどうかにあるのではなく、それが使用料の性質を持つかどうか即ち所得税法上の「不動産貸付に因る所得」に当るかどうかということであるから、権利金が使用権設定の対価であるということでは説明にならない。
第一に重要なことは本件が所得税法解釈の問題であつて、民法や借地法の解釈に関する問題ではないということである。租税法には、公平の原則、実質主義の原則という重要な指導原則がある、それは税法設定の原則であると同時に税法解釈の原則である。この原則から闇屋とか風紀違反営業のような不法営業の所得に課税することも是認されることになる。
相続税、法人税等において、法律に特別の規定はないのに、借地権が資産として取扱はれ、本件における税務官署の主張と全く相反するような課税上の取扱がなされている事実もある。本件の場合にのみ特別厳格な法律論がなされなければならないという合理的な根拠はない。
第二に重要なことは前述したとおり、建物所有を目的とする土地の賃貸借は一たん契約が成立すると借地権を地主が一方的に消滅させることは殆んど不可能だということである。本件の場合は正に建物所有を目的とし、借地法の保護を受ける、借地権の設定であつて、権利金は時価相場に準拠しているものである。それは社会観念上使用料の性質を有するものとは考えられていない。
六、第二の二の(二)について
社会観念上権利金と地代とは明白な区別がある。実際に地代と権利金との区別が困難とされるような事は極めて稀であろう。しかし経済取引の実態は、個別に具体的内容を持つから区別の困難な場合があることは否定し得ないところであるが、それは何も地代と権利金との区別のみに限られることではない。
所得税取扱通達につぎのような規定があることを参考のために附記する
(大蔵財務協会 昭和三七年二月一五日発行 所得税取扱通達集)
一六〇頁 三五A―七
(使用貸借などの名義で土地などを使用させることとした場合の借地権であるかどうかの判定)
土地を他人に使用させることに伴い規則第七条の十第三項に規定する特別の経済的な利益を受けるときは、それがたとえ使用貸借(民法第五九三条参照)の名の下に行はれている場合であつても同条第一項の規定の適用については賃借権の設定に当るものとして取扱うこと(三五、二)
一六四頁 三五A―二〇
(特異な敷金、保証金、貸付金などについての留意事項)
借地権の設定に当り敷金、保証金、貸付金などの名義により受けるものであつても通常行はれているものと著しく異つているものについては、その額、返済条件その他を念査し契約上の文言にとらはれることなく、その実質にしたがつて規則第七条の十第三項に規定する特別の経済的な利益の金額を判定するとともに、それ等の敷金などが権利金でないかどうかをもあはせて判定すること(三五、二)
七、第二の二の(三)について
控訴代理人は不動産の貸付(利用権の設定)と不動産利用権の譲渡とは法律的に全く違つたもので判然と区別されているというが、実際の不動産取引において「既存借地権」の売買と更地の貸付による「借地権の設定」(的売買)との間に取引相場の差異があるものとは考えられない民法上の契約概念としても更地を貸す場合は地代支払約束を要素とする賃貸借契約と同時に、権利金の受授を内容とする別個の土地利用権設定(譲渡)契約が併存するものと考えることは絶対に不可能であろうか、それはともかく、本件は所得税法解釈の問題であるから所謂法律的に全く違うというのは、所得税法的に全く違うという意味でなければならぬが所得税法の解釈としては実質主義の原則、公平の原則に準拠し、適正公平な課税をすることが形式的な法律的安定性よりも重要であると云はなければならぬ(前記通達参照)
八、第二の二の(四)について
昭和三四年法律第七九号の所得税法改正については原告の昭和三六年四月二十日付準備書面第六項記載のとおりである。
右法律改正の前後を問わず本件係争の権利金は所得税法上譲渡所得の性質を有するものであつて、これを不動産所得とすることは違法である。
本件の如き東京都内所在宅地を建物所有の目的で賃貸し、時価相当の権利金を受授した場合、権利金収入が譲渡所得に該当することは、その性質上当然と認められるのに、法律改正前は大蔵省がこれを不動産所得(貸付)として課税せよという取扱通達を出していたのでその取扱が違法不当だから、これを是正せよという議論が起つたのである。
権利金は必ずしも本件の如く、その性質の極めて明白なものばかりではなく性質のあいまいなものも絶無ではないから、権利金に対する課税方法を法律の明文で定めることが望ましいことは言うまでもなく、昭和三四年の法律改正により権利金に対する課税方法が明文化されたことは解釈規定の創設として意味のないことではない。強いてこれを課税方法の変更乃至所得分類の組替えと解することは反つて租税理論に反することになるものと言はなければならぬ。
九、第二の二の(五)について
昭和三四年の改正法律と施行規則により譲渡所得として課税する権利金の範囲を一定したことは負担の公正と課税技術上の見地から妥当な解決として是認されると思う、一定の要件に該当しない権利金を不動産所得として課税することも課税技術上是認されてよい。その理由は所得税法の所得分類には雑所得というものがあるが、雑所得はその名の如く雑多の性質を持ち、他の定型的な所得分類に属しないものであるから、各個の所得に適応した課税方法を予定することは本来困難である。そこで一定の要件に該当しない権利金を譲渡所得から除外してこれを雑所得とするよりは、これを一応性質の類似する不動産所得に編入し、そのうち一部を臨時所得として山林所得に類似する課税方法を採用し累進税率を緩和してできるだけ適正公平な課税をするように措置したことは、妥当な解決と認められるからである。
次に権利金については譲渡所得金額計算のやりようがなかつたという説はあまりにも末梢的な形式論で問題にはならない。譲渡所得計算の原則は所得税法に明文がある。取得価額をいくらに計算するかということは、原則規定の法律解釈として当然解決されることであつて一々法規の明文を必要とする事柄ではない。現に所得税、法人税の取扱について、法規の明文なく、詳細な計算方法の通達がなされている事例は枚挙に遑がない。
以上